京橋川の再生 | Revitalization of the Kyobashi River

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特定非営利活動(NPO)法人 京橋川再生の会   設立趣旨書

1、京橋川再生は地域固有の文化的景観の保全・創出に資するものです。 近年地域環境の負荷軽減の関心が高まり世界の主要都市、ベルリン、ボストン、ソウル等、水・緑・空気を取り戻した成功例が多く見られます。そうしたなか日本の首都東京の中央部での取り組みは未だなされておりません。  私たち京橋三丁目町会会員は平成20年(2008年)10月に東京大学大学院環境デザイン研究室石川幹子教授に出会い「都市再生・世界のチャレンジ」の講演をいただき、京橋川再生の重要性と実現の可能性を感じました。その後平成21年6月20日東京大学グローバルCOEプログラム「都市空間の持続再生学の展開」エコ・アーバンスペース部会まちづくり大学院 演習課題「京橋川再生」、7月17日東京大学工学部都市工学科4年生オムニバス演習「京橋川再生、模型で語る」等学術研究が重ねられて来ました。私たちは地域住民、当地域の顧問会社の方々、大学と大学院の研究者、そして広く一般の方々と共に、京橋川再生の普及活動をボランティア活動として強力に推進するために、対外的な法律行為が可能で、かつ社会的信用を得ることができる独立した法人格を取得できる特定非営利活動法人の設立を申請いたします。  

具体的には、次のような事業を行うことを予定しております。こうした事業活動を通じて、広く社会一般に対して京橋川再生の意義を説明し、地域固有の文化景観の保全・創出、地球環境への負担軽減、観光の拠点、日本橋・京橋・銀座地区の一層の活性化に寄与します。 ・ シンポジウムを定期的に開催し、京橋川再生の意義を啓蒙する。 ・ 行政との連携をすすめ未来像を描く。 ・ 国内外の地域整備、活性化事業の情報交換をして事業の成果を高める。 ・ 地域住民と研究者の緊密な関係を維持し、ほんとうに必要でランニングコストの低い永続性のある決定を促す。

2、申請に至るまでの経過   

わたしたち、京橋三丁目町会は、平成18年(2006年)10月に町会員、顧問会社8社、当地に勤務されている方々と共に「明日の京橋を活性化させる会」を立ち上げました。町会員の京橋への想いを語り、江戸東京博物館館長・竹内誠先生の「江戸をみる・京橋をみる・未来をみる」というお話をいただき、中央区地域整備田村課長の「区としての方針と現状」を伺い回を重ねて平成20年10月に石川幹子教授に出会い、それ以後町会員の有志が東京大学に何度も足を運び京橋川研究を続け、その中で鹿内研究員の「京橋・桜川 の河岸の変遷」三島研究員の「東京高速道路の歴史」をはじめ京橋川の文化 歴史的背景を確認して参りました。  

平成20年(2008)5月9日の総会で、京橋三丁目町会は銀座一丁目と分断をしている高速道路を撤去することを決議しました。かつて京橋川は、野菜を運ぶ交通手段としての役割を果たし、京橋三丁目には大根河岸が存在しました。  1923年(大正12年)関東大震災を境に陸上交通に転換した為、大根河岸は1935年に築地市場に移転しました。第二次世界大戦後1959年に京橋川は埋め立てられ、高速道路とされましたが、1978年に八重洲線の開通により、京橋川のあった区間の交通量は少なく(現在5200台/日、幹線約5万台の1/10)、当区間は東京の交通体系に及ぼす影響は少ないものと考えています。第11回明日の京橋を活性させる会での東京大学オムニバス演習都市工学科4年生7名の発表では町会、顧問会社、一般の方々の40名以上の参加者がありました。  

京橋川再生と実現するための研究、住民、一般の方々からの意見収集、技術・経済面からの可能性を検討し再生実現の為の窓口機能を担う団体を設立することが必要と考え、組織化・法人化の検討を行ってきました。京橋三丁目町会と東京大学石川研究室ですすめて来た活動を、銀座地区、日本橋地区の方々、さらに国際的事例を検証する為の交流が必要との認識から、NPO法人の設立申請を決定し、このたび諸事業の具体的計画に着手し、事業概要を整えてきたため、今回の申請にいたりました。

 

平成22年

設立代表者 木下 茂